第3回:閉校となる母校を記憶の美術館に

空総研: 地域プログラムというのは、どうゆうことをやっているのですか?

シムラ氏: 地域プログラムでは、空港を囲む森の中にある教育機関(小中高校)と連携し、ふわりの森のアーティスト・イン・レジデンスに滞在するアーティストたちが特別授業、ワークショップ、地域での作品制作を行います。国際空港のある成田の特色を活かした国際的な教育環境を構築し、将来国際的な場で活躍する子どもたちを育てます。
 2014年、成田エリアは多数の学校が同時に閉校になることから「記憶/気配」をテーマに地域プログラムを実施しました。連携したのは、僕の母校である酒直(さかなお)小学校です。139年続いた学校ですが、1年生は2人、全校生徒合わせても52人です。そこで閉校になる最後の1年間、アーティストと生徒たちとで139年の歴史を紐解く「記憶の美術館」を創るプロジェクトを授業で行いました。

空総研: 地域と、子どもたちとプロジェクトを進める上で大切にしたことはありますか?

シムラ氏: ダイレクトに人と係るというのが僕の中で一番大切なことなので、まずはここで育ち、今僕自身が海外で行っていることや、この場所で何をしていきたいかなど、いろいろな話をしたりしました。母校ということもあり、繋がりも多くできたのでとてもよかったです。

空総研: この記憶美術館は、1年間経ったらなくなるのですか?

シムラ氏: 残ります。僕らは、グラウンドにある遊具を塗り直すことで校庭をアート作品でいっぱいにし、校庭を美術館にしました。この校庭を残しつつ、教室を制作スタジオにリノベーションして活用していきたいと考えています。
 また、このエリアは利根川が氾濫すると飲み込まれてしまうという危機がある為、小学校の跡地をクリエイティブなハザードセンター(避難所)として機能させるべきだ!という提案しています。加えて空洞化した20代~30代が立ち寄れるサテライト・オフィスや実験的な起業スペースを設けるべきではないか、と考えています。

空総研: 空洞化された20代~30代というのは戻ってきそうですか?

シムラ氏: 定住は厳しいと思いますが、次世代が集まる場所を作ることで、立ち寄りたくなる場所はできると思います。
 今後3年間、アーティスト・イン・レジデンスに注力し、国内外のアーティスト及び関係者と活発に連携していきます。その為にはトランジットの時間に合わせたアート空間づくりです。オリンピック開催時までに活性化すれば、空洞化された世代も戻ってくると見込んでいます。

【目次】
第1回
ふわりの森って何ですか?
第2回
成田空港でのエキシビションから出発
第3回
閉校となる母校を記憶の美術館に
第4回
“ふわりの森”アートプロジェクトが秘める可能性
第5回
アーティスト・シムラユウスケの空港観
第6回
これからの空港に必要なのは、地域との“共生”
第7回
ふわりの森の「NARITA」には「ART」があって、アートの中に「I(人)」がいる
【プロフィール】
シムラユウスケ氏
1981年生まれ。写真、ドローイング、プロジェクトワークなど様々な視点から自身の表現の根源になった、ユーリイガガーリンの「地球は青かった」の言葉から「人の夢とは何か」を作品化し、国内外で作品を発表。東京、ニューヨークを拠点に中東、北欧、アジアでの個展を展開し、各国でコレクションされている。2011年東日本大震災以降、自身の出身地でもあり被災した成田国際空港を包み込むランドアート“ふわりの森”のプロジェクト・ディレクターとしても活動。
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